2019年1月3日木曜日

2019年新年のご挨拶/ New year's greeting of 2019

沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を東京に引き取る行動です。
皆さま、新年を無事に迎えられたと信じて新年の挨拶にしたく思います。

2018年の終わりは辺野古の土砂投入で締めくくられ沖縄差別の解消どころか権力の暴走をまざまざと東京にいながら見せつけられる始末でした。実際に沖縄に住む人々にとってどれだけの衝撃と怒りと失望を与えたことかと自らの非力を恥じるばかりです。
年末年始のテレビ番組で古市何某という人物が「沖縄は全国民にとってプライオリティが低い」と発言したことを知り言論の敗北まで喫してしまいそうな状況でもあります。沖縄人の前で言えないことをテレビカメラの前でなら言えてしまうというリテラシーの欠如がであると同時に、プライオリティが低い土地に基地を置く矛盾というをはからずも露呈していることが二重に情けないです。どちらかというと古市何某の住む世界、米軍基地の沖縄への集中により利益を得ている以上、に近いところにいる私としてはしつこく沖縄差別の解消を言い続けなければならないと思った次第です。

知っている人は知っているニーメラーの詩を紹介します。
Then they came for the Jews, and I did not speak out—
     Because I was not a Jew.
Then they came for me—and there was no one left to speak for me.

彼ら(ナチス)がユダヤ人を襲った時、私は黙っていた。私はユダヤ人ではないからだった。
最後に彼ら(ナチス)が私を襲った時、誰も私を擁護しなかった。

意訳ではないかという指摘と清冽な日本語だというほめ殺しを期待しつつ拙訳を載せました。この詩をご紹介したのはユダヤ人のところを他の誰かに置き換えても成立し得る詩だからです。また、彼ら(ナチス)を誰に置き換えても成立します。沖縄差別を他へ置き換えるのはけしからんという意見もあると思います。また、最後に結局自分可愛さの話がオチになっているという指摘もあることでしょう。
しかし、見ず知らずの人に共感し盟友と思い行動することは非難されることではないと思います。
もしよろしければ、ご自身の立場とできる範囲で沖縄差別の解消のために何かをしてみてください。差別解消の提言として基地の引き取りを論じておりますが、それ以上の沖縄差別解消の手立てがあれば提案をして行動をして欲しいです。もちろんこちらの連絡窓口までコメントを送ってくださって結構です。

今年は来年までまだたっぷり時間があります。諦めずに進んでいきましょう。


Dear All

A happy new year.
On the end of 2018, Japan government started to throw sediment into Henoko coast to construct US base. We aim to solve Okinawa discrimination and have some action to do it. Though we felt our powerlessness seeing this matters. More than we, Okinawa people may be disappointed Yamato who live in rest of Japan except for Okinawa.
On the TV show, Furuichi who is a television character said ”Okinawa matter is not important for Japan people (nation).”
We are disappointed his remark as being beaten speech by him or his followers. Can he say this word in the presence of Okinawa people? He and a part of Japanese people are not literate. If they have any literacy, they can speech it in the presence of Okinawa people, not TV show. Is it true ”Okinawa matter is not important for Japan people (nation).”? If so, we shouldn't keep US base on Okinawa land.
Therefore we continuously have to solve Okinawa discrimination.

We quote a poetry written by Niemoeller (Niemoller) as follows.
Then they came for the Jews, and I did not speak out—
     Because I was not a Jew.
Then they came for me—and there was no one left to speak for me.

We think that this poetry is able to be rewritten as Okinawa matter. We understand it is not good to rewrite easily. Someone have idea this poetry shows self-protection in the last.
However, it is ideal for us that someone think frendship for someone, perfect stranger for him/ her.
If you wouldn't mind, please take care Okinawa matter/ discrimination at your site. When you have any idea to solve this, please inform us in ease. We think there are some ideas to solve this, not only returning militaly base of USA in Okinawa to rest of Japan.

PIC for returning militaly base of USA in Okinawa to rest of Japan, Tokyo.

2018年2月24日土曜日

2018年3月の読書会

みなさま


1月の読書会でデリダを取り上げました。読み終わりませんでした。よって2月も続きを行うことになりました。しかし、参加者の都合がつかなかったため3月に延期になりました。

日時と場所
3月17日土曜日  13時から都内でWiFiが使えるところです。
テーマは「デリダ」高橋哲哉著  講談社学術文庫
参考資料「権利のための闘争」イェーリング  岩波文庫
参加希望の方は3月12日火曜日お昼くらいまでにご連絡をいただけると助かります。

4月以降沖縄関係の行事が4月28日の「屈辱の日」や5月15日の「本土復帰の日」にあわせて沖縄はもちろん大阪などでもあります。それらの情報共有も行いたく思います。

問い合わせ先

よろしくお願いします。

2018年1月30日火曜日

2018年1月20日 読書会

「デリダ  脱構築と正義」高橋哲哉著 講談社学術文庫
参考資料 「権利のための闘争」イェーリング


「デリダ」を選択した理由は植民地主義と不平等・不公正を追及したデリダの伝記であるため。デリダ自身が植民地の出身でその名前の「選択」においても植民地主義からの要請が伴うものであった。アメリカ式のジャッキーかフランス式のジャックか。そのような体験を経て言語・暴力・法・正義について論じている。

第二章 形而上学とは何か
プラトン、アリストテレスを用いて言語の優位、下位について論じているが、ここで重要なのは基礎知識としてギリシア哲学の発達したあの時代というのはバーバルコミュニケーション、喋る・話す方法が書き言葉より優位であったということである。それをデリダはパロールと名付け改めて可視化している。エクリチュール、書かれた言葉が記録として有効であるにも関わらずパロール話された言葉が優位であるのは識字率が高い時代と場所に限りがあり、話す言葉が通じる相手というのは周辺を植民地化して拡大していった国家のありかたの反映と言えるのではないだろうか。現代においては言語札の問題に通じるものであるが、プラトンたちの時代と今の時代の言語札、または言語札に匹敵するような言語の剥奪を同列には論じることは難しいだろう。しかし、プラトンたちは一定の地域の中心にいる人たちでその言葉が通じつことを当然視していてもおかしくはないし、また古代ギリシアでは街頭演説を哲学者が行うのが常であったので話言葉が通じない相手は下位と置かれることは当然のことであろう
帝国ではない国家は存在しないということの説明をこのような大昔の今でも私たちの読書体験などに影響を与えるギリシア哲学からも見出すことができる。
話し言葉にも書き言葉にも言えることであるがこれらを通じるように伝えるというのは論理的である、整然とかたづいていることが重要視される。整然としない言葉を発する者を他者として排除・隠蔽してきたの歴史を暴いたのがデリダであろう。
メモをとる、そのメモはパロールかエクリチュールか。書いたことで記録になっているのでエクリチュールではないかという話が参加者同士で行われた。しかし、読まれなければエクリチュールは成立しえない側面もある。しかもメモをとる場合他人に見せるメモと自分が見るためのメモは記録として同じものになるのだろうか。この部分はこのブログを読んだ方からもご意見をいただければと思う。自分用のメモは後で読んだら字が汚くて読めないということもありエクリチュールでもパロールでもない何かになっていることがある記号は記号として共通認識があるから記号は機能するということも言語を考えるにあたって外せない要素であるだろう。
言語札の話題が読書会で出た。言語札は朝鮮、沖縄と日本。海外に目を向ければイギリスもフランスも実施しており相手を支配するのに最も有効な手法であると同時に道具なのだろう。言語札に匹敵する状況というのは現在も続いており標準語でないと受験ができないということも言語札の延長にあるものではないかと思う。地方で育った人は話し言葉は地域の言葉で、授業は標準語で受けた人がほとんどではないだろうか。年配の人物が今はテレビの影響でみんな方言を使わなくなったと嘆く声がテレビで放送されることがあるが、テレビよりも授業の影響の方が大きいように思う。なぜならば、学校教育は将来この社会の構成員として生きていくための訓練場としての要素が大きい。言い換えれば将来を見越して社会からの要請に応えるように人々を訓練する場といえる。そこで標準語化が進められばいくら子どもであってもそれに応答する、応答せざるを得ないであろう。標準語の他に選択肢はない。時々方言の授業、外国人の児童生徒向けの外国語の課外授業が行われるとニュースになるのはそれが標準ではない、終焉化されている言語が可視化されているからではないだろうか。

2018年1月27日土曜日

【都合により順延】2月の読書会のご案内

みなさま

2月の読書会のご案内ですが、都合により順延となりましたのでお知らせします。

1月はそんなに大きく告知をしていなかったのですが、前回に引き続き「デリダ」講談社学術文庫を読みます。
前回読み終わらなかったので2回目を設定しました。

日程は以下の通りです。
2月17日  土曜日
午後1時から
場所は都内です。お問い合わせください。

詳細はご連絡をくださった方に返信しますのでメールでお問い合わせください。

yamerup@gmail.com

よろしくお願いします。

引き取る行動・東京
窓口

2017年12月18日月曜日

2017年12月16日 読書会

12月16日土曜日 読書会
「消えゆく沖縄  移住生活20年の光と影」中村清司著 光文社新書

20年より前は沖縄はハワイか沖縄か、旅行行き先の選択肢の一つであった。または配偶者の転勤で行くなど移住先という場所ではなかった。
1ドル360円の時代。パスポートを持って行く場所であった沖縄。当時の日本映画の描写の中にドルを持って沖縄へ行くという描写があった。
沖縄への移住ブームに火をつけたという批判が沖縄の内部から出ていることは本人がこの本の中で言及しているが、具体的に指摘された内容については言及がない。仲村の目から見ての批判内容に触れられているとなお良かったと思う。ちなみに批判者については名指しはしていない。
昔はどこの県でも県人会があったが沖縄の県人会の様相が他の県人会とは異なるのは琉球処分に始まるヤマトからの抑圧や差別があるからではないか。
踏まれた足の痛みはわからないという不幸がある。だから足を踏んでいるからどけてくれと言われても足をどけることが出来ない。せめて痛みがわからなくても足をどけることはしたほうがいい。これは応答責任の一部を成すものではないだろうか。
「消えゆく沖縄」だけを読んでも中村清司という著者のことはわからない。宮台真司との対談「これが沖縄の生きる道」と合わせて読むと「消えゆく沖縄」の中にある沖縄への冷徹な目、またヤマトとの距離感がよくわかる。しかし、宮台の沖縄蔑視が露呈しており良書とは言えないのが難点。
読書会は事前に第四章葛藤を重点的にまた第五章民意を中心に据えて開く予定であったが参加者全員が熱心に本全体を読んできていたので話が弾んだ。インフラなどそこに住む人が必要なものがあり、ユートピアとしての沖縄を語る話には乗ることが出来ない。この本の第四章、第五章に限らないがユートピア・沖縄希望が持てる運動のあり方についても話が出た。
読書会は事前に第四章葛藤を重点的にまた第五章民意を中心に据えて開く予定であったが参加者全員が熱心に本全体を読んできていたので話が弾んだ。インフラなどそこに住む人が必要なものがあり、ユートピアとしての沖縄を語る話には乗ることが出来ない。この本の第四章、第五章に限らないがユートピア・沖縄を追い求めている誰かの話として読めた。それは沖縄二世という仲村自身のユートピア幻想なのか仲村の口を使ってユートピアを語らせているヤマト(それからヤマトに住む者)からの願望の問題ではないかと思った。

希望が持てる運動のあり方についても話が出た。沖縄に人達の頭の上を戦闘機が常時かすめていくような状況で希望を持てるのか。暮らしがあるのにそれを考慮しない運動のあり方では運動として成り立たないであろう。引き取るということが目的化するのではなく引き取りの提言を安保に賛成している人達に届けて、その人達に沖縄の犠牲によって成り立っている平和なら自分で引き受けましょうと伝えて沖縄に基地をそのままにしておくのか、引き取るのか、また安保を解消して本来あるべき差別のない状況、積極的平和を希求するのかを問う運動であれば希望が持てる人が一人二人と増えていくのではないかと考える。

次回は第四章、第五章を踏まえて「デリダ」高橋哲哉著 講談社学術文庫第三章言語・
暴力・反復、それから第四章法・暴力・正義を読む。参加希望者はお気軽にお問い合わせいただきたい。参考資料として「権利のための闘争」イェーリン著 岩波文庫を読むことをおすすめしたい。

2017年11月23日木曜日

12月の読書会のご案内

みなさまへ。

仲村清司の「消えゆく沖縄  移住生活20年の光と影」光文社新書を読みます。この本を通じてエスノセントリズムを読みたいと思います。

次回日程は以下の通りです。
12月16日土曜日13時から場所都内です。
前回同様ランチ、お茶を飲みながらの読書会を行いますので12月13日午後12時までに参加希望の場合はご一報をお願いいたします。
参加希望者の方にだけ場所を追ってご連絡いたします。

よろしくお願いします。


2017年11月20日月曜日

2017年11月19日 読書会

「沖縄と国家」読書会@都内 2017年11月19日
学習会参加者から次のような意見が出ましたのでこちらのブログに掲載します。下に登場する各人の氏名にはさん付けも何もしていません。

全体として読み取ることが出来るのは目取真俊の民族・帰属意識は沖縄にあり、辺見庸の民族・帰属意識は日本/ヤマトにある。
沖縄からの基地引き取り要求の存在に触れることがないまま対談が進んでいき、P34で目取真俊が以下の通り発言。
    基地でそんなに利益が出るんだったら、全国に財政が破綻している自治体があるんだか  ら、米軍基地を誘致すればいいでしょう。

基地引き取りにはヤマトの善意とP61で辺見庸が発言しており、米軍基地の引き取りであろうと誘致であろうと沖縄の基地偏在が軽減されるのであれば基地引き取り要求という観点ではどちらでも構わないはずである。しかし、引き取り要求の存在を無視したまま行われている話であるため目取真俊、辺見庸ふたりの真意がこの本を読んでもわからない。
日米安保については賛成が80%の支持を集める中で安保に賛成するなら何をなさなければならないかを賛成する人達に問うことはしていない。安保に反対する立場から賛成する人への問い、応答の要求があっても良かったと思う。
基地引き取りの提言をしている高橋哲哉についてはP65で辺野古の集会に来てトイレの送迎をするといいと目取真俊の発言がある。自分と異なる立場から自分とは異なる発言をする者へ集会への参加の呼びかけとそこでのトイレの送迎を要求することが懲罰を与えるために集会へ人を招こうという意図が読み取れるのではないかと思われる。排泄は生きている限り続くし、トイレにまつわることを下に置く発想が学校の懲罰を連想させるが、それは相手へ服従を要求することになり運動の発展にも思想の発展にもつながらないと思う。いつ基地を引き取るのか具体的な時期を昨年のAERAの高橋哲哉、目取真俊の対談の中で目取真俊が問い合せていたが差別問題の解消の方法の一つとしての引き取りであるため差別問題の解消の他の方法の提言があれば引き取り以外の選択もありえる。それは引き取り運動が応答責任を受けおっていることをわかっていれば沖縄差別の解消はいつなされるのか、という質問であれば時期は答えることが可能である。いつか?今だ。今すぐに取りかかり進めなければならない。これが回答である。これも読書会で出た一つの見解である。
P158の目取真俊の発言。
    米軍の宿舎に行けば若い女性たちが泊まっているとか、こんな状況もあるわけですよ。だから米兵になめられているんです。

女性にとって恋愛と結婚がエコノミックであることを考えればその若い女性たちにとって米軍の宿舎に泊まるということは生活に直結する問題であってその人たちのせいで運動がなめられいるということは視点の置き方に問題がある。運動が進まないということとは問題が異なると思う。
P161の辺見庸の発言。
    たいていの人間は、沖縄っていうのは、なんだろうな、思想的な、通らなければならない関門として、ホンドの人間は通った、という時期があって、

思想的な通り道にされるために沖縄は存在しているわけではなく、そこに暮らす人達のために存在しているのではないか。この本の中でP30で「チョッパリ」といって朝鮮人に対して内心居直ったりもしている。辺見庸の言論活動は差別の解消より被差別者相手に居直ったり、思想的な通り道にして自己肯定をするのが目的になっていないだろうか。運動内部に関しては日本人の自民族中心主義にはマイノリティの側から批判が1968年から出ているにも関わらず、辺見庸のような人物に疑問が日本人からなかなか出てこない状況を変える、それが差別問題の取り組みの一歩となると思う。運動内部にあるエスノセントリズムへどれだけ厳しい態度を取れるか、運動への参加を理由にエスノセントリズムへ甘い態度を取らないことが隠蔽される差別への応答になり得るのではないか。