2017年12月18日月曜日

2017年12月16日 読書会

12月16日土曜日 読書会
「消えゆく沖縄  移住生活20年の光と影」中村清司著 光文社新書

20年より前は沖縄はハワイか沖縄か、旅行行き先の選択肢の一つであった。または配偶者の転勤で行くなど移住先という場所ではなかった。
1ドル360円の時代。パスポートを持って行く場所であった沖縄。当時の日本映画の描写の中にドルを持って沖縄へ行くという描写があった。
沖縄への移住ブームに火をつけたという批判が沖縄の内部から出ていることは本人がこの本の中で言及しているが、具体的に指摘された内容については言及がない。仲村の目から見ての批判内容に触れられているとなお良かったと思う。ちなみに批判者については名指しはしていない。
昔はどこの県でも県人会があったが沖縄の県人会の様相が他の県人会とは異なるのは琉球処分に始まるヤマトからの抑圧や差別があるからではないか。
踏まれた足の痛みはわからないという不幸がある。だから足を踏んでいるからどけてくれと言われても足をどけることが出来ない。せめて痛みがわからなくても足をどけることはしたほうがいい。これは応答責任の一部を成すものではないだろうか。
「消えゆく沖縄」だけを読んでも中村清司という著者のことはわからない。宮台真司との対談「これが沖縄の生きる道」と合わせて読むと「消えゆく沖縄」の中にある沖縄への冷徹な目、またヤマトとの距離感がよくわかる。しかし、宮台の沖縄蔑視が露呈しており良書とは言えないのが難点。
読書会は事前に第四章葛藤を重点的にまた第五章民意を中心に据えて開く予定であったが参加者全員が熱心に本全体を読んできていたので話が弾んだ。インフラなどそこに住む人が必要なものがあり、ユートピアとしての沖縄を語る話には乗ることが出来ない。この本の第四章、第五章に限らないがユートピア・沖縄希望が持てる運動のあり方についても話が出た。
読書会は事前に第四章葛藤を重点的にまた第五章民意を中心に据えて開く予定であったが参加者全員が熱心に本全体を読んできていたので話が弾んだ。インフラなどそこに住む人が必要なものがあり、ユートピアとしての沖縄を語る話には乗ることが出来ない。この本の第四章、第五章に限らないがユートピア・沖縄を追い求めている誰かの話として読めた。それは沖縄二世という仲村自身のユートピア幻想なのか仲村の口を使ってユートピアを語らせているヤマト(それからヤマトに住む者)からの願望の問題ではないかと思った。

希望が持てる運動のあり方についても話が出た。沖縄に人達の頭の上を戦闘機が常時かすめていくような状況で希望を持てるのか。暮らしがあるのにそれを考慮しない運動のあり方では運動として成り立たないであろう。引き取るということが目的化するのではなく引き取りの提言を安保に賛成している人達に届けて、その人達に沖縄の犠牲によって成り立っている平和なら自分で引き受けましょうと伝えて沖縄に基地をそのままにしておくのか、引き取るのか、また安保を解消して本来あるべき差別のない状況、積極的平和を希求するのかを問う運動であれば希望が持てる人が一人二人と増えていくのではないかと考える。

次回は第四章、第五章を踏まえて「デリダ」高橋哲哉著 講談社学術文庫第三章言語・
暴力・反復、それから第四章法・暴力・正義を読む。参加希望者はお気軽にお問い合わせいただきたい。参考資料として「権利のための闘争」イェーリン著 岩波文庫を読むことをおすすめしたい。

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