2017年11月20日月曜日

2017年11月19日 読書会

「沖縄と国家」読書会@都内 2017年11月19日
学習会参加者から次のような意見が出ましたのでこちらのブログに掲載します。下に登場する各人の氏名にはさん付けも何もしていません。

全体として読み取ることが出来るのは目取真俊の民族・帰属意識は沖縄にあり、辺見庸の民族・帰属意識は日本/ヤマトにある。
沖縄からの基地引き取り要求の存在に触れることがないまま対談が進んでいき、P34で目取真俊が以下の通り発言。
    基地でそんなに利益が出るんだったら、全国に財政が破綻している自治体があるんだか  ら、米軍基地を誘致すればいいでしょう。

基地引き取りにはヤマトの善意とP61で辺見庸が発言しており、米軍基地の引き取りであろうと誘致であろうと沖縄の基地偏在が軽減されるのであれば基地引き取り要求という観点ではどちらでも構わないはずである。しかし、引き取り要求の存在を無視したまま行われている話であるため目取真俊、辺見庸ふたりの真意がこの本を読んでもわからない。
日米安保については賛成が80%の支持を集める中で安保に賛成するなら何をなさなければならないかを賛成する人達に問うことはしていない。安保に反対する立場から賛成する人への問い、応答の要求があっても良かったと思う。
基地引き取りの提言をしている高橋哲哉についてはP65で辺野古の集会に来てトイレの送迎をするといいと目取真俊の発言がある。自分と異なる立場から自分とは異なる発言をする者へ集会への参加の呼びかけとそこでのトイレの送迎を要求することが懲罰を与えるために集会へ人を招こうという意図が読み取れるのではないかと思われる。排泄は生きている限り続くし、トイレにまつわることを下に置く発想が学校の懲罰を連想させるが、それは相手へ服従を要求することになり運動の発展にも思想の発展にもつながらないと思う。いつ基地を引き取るのか具体的な時期を昨年のAERAの高橋哲哉、目取真俊の対談の中で目取真俊が問い合せていたが差別問題の解消の方法の一つとしての引き取りであるため差別問題の解消の他の方法の提言があれば引き取り以外の選択もありえる。それは引き取り運動が応答責任を受けおっていることをわかっていれば沖縄差別の解消はいつなされるのか、という質問であれば時期は答えることが可能である。いつか?今だ。今すぐに取りかかり進めなければならない。これが回答である。これも読書会で出た一つの見解である。
P158の目取真俊の発言。
    米軍の宿舎に行けば若い女性たちが泊まっているとか、こんな状況もあるわけですよ。だから米兵になめられているんです。

女性にとって恋愛と結婚がエコノミックであることを考えればその若い女性たちにとって米軍の宿舎に泊まるということは生活に直結する問題であってその人たちのせいで運動がなめられいるということは視点の置き方に問題がある。運動が進まないということとは問題が異なると思う。
P161の辺見庸の発言。
    たいていの人間は、沖縄っていうのは、なんだろうな、思想的な、通らなければならない関門として、ホンドの人間は通った、という時期があって、

思想的な通り道にされるために沖縄は存在しているわけではなく、そこに暮らす人達のために存在しているのではないか。この本の中でP30で「チョッパリ」といって朝鮮人に対して内心居直ったりもしている。辺見庸の言論活動は差別の解消より被差別者相手に居直ったり、思想的な通り道にして自己肯定をするのが目的になっていないだろうか。運動内部に関しては日本人の自民族中心主義にはマイノリティの側から批判が1968年から出ているにも関わらず、辺見庸のような人物に疑問が日本人からなかなか出てこない状況を変える、それが差別問題の取り組みの一歩となると思う。運動内部にあるエスノセントリズムへどれだけ厳しい態度を取れるか、運動への参加を理由にエスノセントリズムへ甘い態度を取らないことが隠蔽される差別への応答になり得るのではないか。

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